大人になってから「言葉が通じない」と悩む事が起きたのは、結構衝撃的な事件でした。
逆に言えば生まれてから、よく喋る家族のもとに育ち、
比較的仲の良い友人などとだけ交流しつづけていけば
自分の周囲に「言葉の通じる割合が高い人」だけを選んで交友を深めた
と言うことかもしれません。
社会人になってからは、そいういう訳にもいかず、
前提知識の違いや常識の違い、価値観の違いなどで
「端折って喋っても通じる人」
「イチからジュウまで丁寧に説明してなんとか通じる人」
「内容関係なくて本人の機嫌に左右される人」
など、たくさんの相手と関わっていく必要がありますが、
やはり一番気楽なのは喋る労力が少ない人ですよね。
・今になって思えば、誰彼かまわず完璧に近い形の通じ方を
求める必要はなかったのでしょうが、
伝わらない もどかしさから空回りしていた気もします。
「世の中には一定数、話が通じ合わない人もいるよね」というのが分かってからは
ちょっとラクになった気はします。
・最近はいろんな人と交流していますので、
言葉が通じにくい前提に立つ必要があるなと思っていて、
何か言語以外の補助的なツールを模索しています。
去年ペンタブレットつきPCを買ってみたのは、図示や文字化が役にたつかもと思ったからで、目下活用中です。
・ところでパートナーがいますが、かなり話が通じませんでした。
いちばん「言葉が通じない!」と衝撃を受けたのはパートナー相手だったような気がします。まぁでも人生には刺激が必要ですし、言葉が「通じない」から→「通じる」に高めていくのが醍醐味なのかも知れません。
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